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永瀬正敏(俳優)
さりげない会話で伝わる食卓
その後の無言の食卓
たった1人の厨房
手を振る父親の笑顔
提灯に照らされた時空を超えた旅
ガラス越しの思い、揺れる風の音
鏡の中の母親の刹那
自然
突然襲った不安から出た色の異なる声
過去の見慣れた幻想の風景
朽ちながらも今も地続きな過去の繁栄と現実の姿
音に包まれた孫と消えた祖父の添い寝
振り向いた主人公の佇まい、、、

まだまだ書ききれない程
全てが胸を強く締め付ける

そして

村瀬監督の見つめる先

1000の言葉より
100の表情より
ただの背中が
もっとも雄弁に
心模様を語るのだと
改めて確信させてもらった作品
素晴らしかった
井浦新(俳優)
霧は地を這いながら空へと舞い上がる
その蒸気は雲になり雨を降らせ地面に染み込み
また蒸発して霧になり地を這いながら空へと..
過疎が進む山間の集落でも
祖父から孫へと受け継がれ身についていく知恵
存在は心の中にそっと居続けるだろう
切り倒された倒木から切り株から更新される新たな生命
人も自然も大いなる循環の中に在ることを教えてくれる
人口が減りいつの日か集落から人がいなくなったとしても
それでも水は循環し山の生命は巡り続け
この映画が集落の文化や風習そして人々を
ずっと伝え続け誰かの記憶に残ってゆく
大人へと少し近づいた坂道を登っていく少女と
山肌を覆うように立ち込めて空に舞い上がる霧の
瑞々しい躍動感が私には重なって見えた
田舎に住みながら丁寧に日々を暮らし
釣りを愛し自然の中に身を置く村瀬大智監督の眼差しは
逞しく、そして優しい
金原由佳(映画ジャーナリスト)
明確に見えていたはずの風景がぼやけてくる季節がある。
目指す方向が家族間で違ってくることも。
変わることの切なさと痛みを描き、それでも進む道を探る。
『霧の淵』は、一陽来復の物語
中野量太(映画監督)
人は、人生という限られた時間の中で
どこで生きるのか? 誰と生きるのか?
を決めなければいけない時が来る。
まだ若いイヒカは、悩んで考えて、きっと……
未来を想像させてくれるラストカットが素敵だ。
別所哲也(俳優)
ヒトには居場所が必要だ。
自分らしくいられる場所。

たとえその場所が時間から置き去りにされ、
忘れ去られようとしていても。。。

変わりゆくことに戸惑い、
変わらないであってほしい永遠の「霧の淵」で、
切なさを背負い生きる人々。
奈良の大地は、そこに永遠に存在するのに、ヒトの営みは、
自分勝手で、永遠でもなんでもない現実。
山深い霧立ち込める奈良の自然と共生し、
「生きる」ことの意味、「家族」の意味、
「永遠」の意味に優しく向き合えるモノガタリに、出会えた。
松崎健夫(映画評論家)
森が構成する樹々の狭間、
或いは、家屋の柱や窓枠が構成するフレーム内フレーム。
そういった構図(フレーム)の中心に、12歳のイヒカが佇んでいる。
未来ある彼女の姿に対して、
何かに囚われているかのような静かな焦燥を感じるのは、
緻密な画面設計によるものなのだろう。
山間のコミュニティに漂う空気は、
穏やかなようで素っ気なく、優しいようで峻烈。
美しさと過酷さとが同居するのは、
まるで<霧>のごとしなのである。
松本妃代(女優・絵本作家・画家)
川辺に座って、
水面の煌めきを眺めているようだった。

清々しく、時に飲み込まれてしまいそうなほど力強い自然。
その大きな生き物の呼吸の中で、人々が生きている。

いのちの流れと共に移りゆく日々の営みは、
強く、美しく、そして儚い。
真魚八重子(映画評論家)
自然は恐ろしい。
意思を持つように刻々と形を変えて視界を遮る霧。
無言で窓ガラスを常に震わす風。
人間は畏怖の念を抱き、
背を丸めて都会に向かうのかもしれない。

その自然と共存する主人公一家は、
自分も自然の一部として、
半ば恐ろしいものと一体化しているのではないか。